劇団パンタカ第3回公演:昭和59年4月8日(金):神戸文化大ホール
【釈尊降誕会祝典劇】
『アヌルッダとアーナンダ物語』
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(NA) | アヌルッダがお悟りをひらいてから、どのくらいの時が経ってのことであろうか。ある時彼は精舎にあって、衣のほころびを縫おうとしていた。だが、盲目となってしまった彼には、どうしても針の穴に糸を通すことができませんでした。そこで彼は、ひそかに心のなかで念じたのです。 |
アヌルッダ | 世のもろもろの求道者のなかに、誰か私のために、この針の穴に糸を通してくれる人はいないであろうか |
・ | ーーー釈尊が現れ、様子を見て近づき |
釈尊 | アヌルッダよ、さあ、私が糸を通してあげよう。その針をよこしなさい |
・ | ーーーアヌルッダ驚いて |
アヌルッダ | 世尊よ、おそれおおいことです。私は、いま心のなかで念じておりました。誰か道を求める人で、功徳を積み、さいわいを求めようとする人が有れば、私のために糸を通してくれればよいが、という願いでありました |
釈尊 | アヌルッダよ、私にだって功徳を積ましてくれてもよいではないか。私だって、幸いを求めることでは、けっして人後に落ちる者ではない。いや、むしろ、私ほど世の中の幸いを求めているものはないかもしれないのだよ |
アヌルッダ | 世尊は不思議なことを仰せられる。いまや世尊は、如来であります。如来の身はすでに、真実の身であられますから、いまさらなんの求むるところがありましょうか。世尊はすでに、生死の海を渡り、一切の愛着を脱しておられます。しかるに、いまさらどうして、幸いの道を求めようとなされるのでありましょうか |
釈尊 | アヌルッダよ、おまえは知らないのだね。如来は六法において、これで充分ということはないのだということを。 一つには施すこと 二つには教え戒めること 三つには耐え忍ぶこと 四つには法を説き教えを説くことである。 五つには生きとし生けるものを愛し護ること 六つには無上真実の道を求めてやまないことである。 これらの六つの道においては、如来といえども、これでよいということはないのだよ さあ〜、さあ〜、針と糸をかしてごらん |
・ | ーーーアヌルッダから、針と糸をとり、通してやる |
アヌルッダ | ありがとうございました。世尊よ、お教えありがとうございました |
釈尊 | 身体をいとうて、さらに修行に励みなさい。私も、この六つの道を休まず歩いて行くのだから、ともにおなじ道を歩いているのだよ |
(NA) | この世のあらゆる力のうち、幸いの力こそもっとも勝る。 人天の世界に、これに勝るものなし。仏道もまたその力によりなる |
暗転 | ・ |