劇団パンタカ第3回公演:昭和59年4月8日(金):神戸文化大ホール
【釈尊降誕会祝典劇】
『アヌルッダとアーナンダ物語』
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(9)

(NA) ーーー翌朝、釈尊はアーナンダを伴い、ベーサーリ城を托鉢し、弟子たちと共に、バンダ村に向かわれました。
釈尊 「あぁ〜、私は再びこの城を、見ることはないであろう」
(NA) ーーー釈尊はバンダ村から、アンバ村、ジャンプ村へと進まれたが、アーナンダを呼んで、
「衣と鉢を用意せよ。ボーガ城に赴くであろう」と。
ボーガ城に入り北の方、シンサパー樹林に休息せられた。釈尊はボーガ城から、パーバー城へ進んだ。信者らは泣く泣く仏陀を見送り行きつ戻りつした。すでに仏陀はパーバー城に到り、城外の樹林に止まられました。この園は信者の一人である鍛冶屋のチュンダの所有であって静かなところである。城中の人々もいでて、釈尊を拝した。チュンダは釈尊とその弟子たちが自園に入られたと聞き、喜びにたえず座下に到りました。
チュンダ 「世尊よ、ようこそ私共のところへおいで下さいました」
釈尊 「チュンダよ、余は久しからずして入滅するであろう。最後の別れに来た」
ーーーチュンダ、驚いて倒れる。苦しい声で・・・・
チュンダ 「世尊よ、おぉ〜世尊よ、願わくばこの世におとどまりください。あぁ〜」
釈尊 「チュンダよ、余には老も病も、死もないが、もろ人を哀れむが故に、いま、入滅しようとしているのである。嘆くことはない」
(NA) 釈尊は、弟子らを伴ってチュンダの家に入り、その供養を受けられた。チュンダは自ら給仕し、別に栴檀樹の茸を仏陀に捧げた。仏陀はチュンダの家を出て、クシナーラ城に向かった。チュンダもその後に従った。途中、仏陀は重い病にかかられ、路傍の樹の下に休息されたが、酷い渇きを覚えられた。
釈尊 「アーナンダよ、すまぬが河に行って水を汲んで来てくれ」
アーナンダ 「世尊、今しがた五百の隊商が車をつらねて上流を渡りました。河は濁っておりましょう。ほど遠からぬところに、カクッター河があります。そこで、渇きをいやし水浴びをなさってください」
釈尊 「アーナンダ、水を汲んで来てくれ」
アーナンダ 「はい、でも水は濁っておりましょう・・・・ですから」
釈尊 「アーナンダ、水を!」
アーナンダ 「はい、では、ただ今」
ーーーアーナンダ、鉢を持って花道まで行く。花道から覗き込み驚く。
アーナンダ 「オォ〜、何としたことだ。不思議だ!あれほどの隊商が通った後だというのに、美しく澄みきっているではないか。ありがたい!」
ーーーアーナンダ、いそいそと鉢をささげて帰ってくる。そして釈尊に飲ませる。
(NA) ーーー釈尊は、クシナーラ城外のヒランニャパティー河の畔にある、サーラ樹の森に向かわれた。パーバー城とこの林とは相去ること数里に過ぎませんが、仏陀はこの間に二十五回も休まれました。
釈尊は、弟子らと共に林に入られた。アーナンダは座を設け、釈尊は頭を北にし、西に向かい、右脇を床にし、足を重ねて、静かに臥したまわれました。
アーナンダは悲しさと苦しさに堪えられず、ひそかに後に隠れ、樹にもたれて独り嘆いておりました。
アーナンダ (独白)「まだ私は、完全な悟りを得ていない。なのに世尊は、私を捨てて滅度してしまわれる。いったい私はいつになったら、悟りの道に入ることが出来るのであろうか」
釈尊 「アーナンダはどこにいるのか」
弟子 「あちらの樹の下で泣いております」
釈尊 「余が彼に会いたいと伝えよ」
ーーーアーナンダ、釈尊の傍らに寄る。
釈尊 「アーナンダよ、悲しむには及ばぬ。余が成道以来説いてきた教えと戒めとは、汝の師であり汝の守りである。また、汝のたのむべきところである。余は世間の父であり、友である。父として、友として、なすべきことはなし終わった。
余亡き後は、これを念じ、これを行い、マハーカッサパと共に世間を導いてくれ。アーナンダよ、心を煩わすな。汝は年久しく、余に仕えてくれた。仏陀に供養した汝の功徳は非常に大きい。汝は遠からずして悟りを開くであろう。余の教えは広く流れて人間界を恵むであろう」
暗転

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