劇団パンタカ第3回公演:昭和59年4月8日(金):神戸文化大ホール
【釈尊降誕会祝典劇】
『アヌルッダとアーナンダ物語』
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(1)
緞帳前 | ーーー子供達登場 「ナモータッサー、バガバトー、アラハトー、サンマー、サンブッダッサー」三回。退場 |
第一幕 | ーーー緞帳上がる。祇園精舎の講堂。釈尊の説教の最中である。聖歌隊による合唱高まる。出家比丘は左手、正面に釈尊。在家者は右手に坐している。 アヌルッダ、居眠りをして船を漕いでいる。在家信者たちはアヌルッダを見、ひそひそと私語を交わし、互いに目配せしている。釈尊は、それに気付かれ、改めて静かに詩を説かれる。 |
釈尊 | 「法を受けて心地よく眠り、こころに錯乱あることなし、聖者が説くところの法は智者の楽しむところなり」 「そはなお深き淵の水の如く、清澄にしていささかのけがれなし、かくのごときの法を聞く人は、またその心清らかにして楽し」 「そはまた大いなる岩の如く、風のよく動かす能わざるところ、されば、そしらるるも誉めらるるも心はために傾き動くことなし」 |
・ | ーーー釈尊は詩を説き終わられ、ややあって背後のアーナンダに目配せされる。アーナンダは一同に講座の修了を告げる。一同は退場するが、釈尊はアーナンダにアヌルッダを呼ぶよう手招きされる。 アヌルッダは悄然と前に坐す。 |
釈尊 | アヌルッダよ。汝は良家の子であって、道を求める心が強いゆえに、出家して私の下へ来たのではないか。しかるに今日の法座において、大衆の中にあって居眠りをしていたとは、どうしたことか |
・ | ーーーアヌルッダ、すっと立ち上がると姿勢を整え、胸の上に両手を組み合わせると、がばっとひれ伏して釈尊を拝して |
アヌルッダ | 世尊よ、今日以後アヌルッダは、たとえ我が身がどうなろうとも、誓って世尊の前にあって居眠るようなことはいたしません |
(NA) | それは彼の誓いであった。そしてその時より以来、不眠、不臥をもって自己との闘いを始めた。彼は後に詩に歌っている。 「私は、二十五年の間、常座をもって自己を制した。私は、二十五年の間、自己を制して懶惰に克った」 しかし、一切横にならず、一睡もしないことは不可能であった。このような恐ろしい無理がたたって、彼は酷い眼の病にかかった。 |
釈尊 | アヌルッダよ。己に厳しすぎることはよくない。怠けることは避けねばならぬが、苦行も又避けねばならない。私がいつもいう中道こそ、また汝の道でなければならない |
アヌルッダ | 世尊よ、私はすでに如来の前に誓いを立てました。私はその誓いに違うことはできません |
(NA) | そこで釈尊は、名医の誉れ高いジーヴァカにアヌルッダの眼を治療することを依頼されました |
ジーヴァカ | おお、これは酷い。世尊よ、この人が少しでも眠るならば、彼の目を治すことが出来るのですが |
釈尊 | アヌルッダよ、汝は眠らなければいけない。なぜなら、すべてのものは養うことによって存在し、養わなければ存在することができないのだ。身体は食物を栄養となし、眼は睡眠をもって栄養とする。汝はいまや睡眠をとらなければいけない |
ジーヴァカ | そうです、そのとおりです。睡眠をとらないなどという無茶なことをしてはいけません |
アヌルッダ | 私には睡眠をとることが耐え難いのです |
・ | ーーーアーナンダ、アヌルッダに歩み寄り |
アーナンダ | アヌルッダさん、どうかお願いですから睡眠をとってください。世尊も心配しておられます。それ以上、眼が悪くなって潰れでもしたら、せっかくきれいに澄んだ眼に産んで下さったご両親にも、申し訳ないじゃありませんか。親不孝ですよ |
アヌルッダ | アーナンダ、ありがとう。君の気持ちはうれしい。けれども私は出家した身だ。真実の法のためには、一瞬たりとも怠けてはならない。・・・・私は自分自身を見詰め続けているのだ。たとえ眼が潰れようとも、私は恐れないし、惜しくはない。それよりも本当の自分が見つけられないのが苦しい。ああ〜、こんなことでは駄目だ |
アーナンダ | アヌルッダさん。そんなにご自身を責めないで下さい。世尊は常々、張りすぎた琴の糸は切れやすいと言っておられます |
アヌルッダ | わかっている。しかし、私にはこうするしか、悟りにいたる道は無いように思う。私の思うようにさせてくれ |
(NA) | アヌルッダは睡眠を拒み続けました。そうして、何回目かの満月の夜がやってきました |
アヌルッダ | ああ〜、今夜は満月の夜だときいているのに、月の光が急に失われていく。雲に覆われたのか、黒々として先ほどまで見えていた木も石も見えない。おお〜手が見えない。とうとう私の目は失明してしまったのか。深い闇だ、何も無い真の闇だ。 ああ〜、ここまできても、本当の自分が見つけられない。絶望だ。ああ〜、一切は虚しいのか・・・・・ 世尊は仰せられた。一切のものに如来の智慧徳相が具わって光り輝いていると。ガヤの菩提樹の下において、悟りを啓かれたとき、そう叫ばれた。しかし、いったいなにが光輝いたのだ。本当の自分など、どこにもない。命がけで求めているのに、ついに得ることはできないのか。どこにも、なにもない。そうだ、なにもない、なにもない・・・・・・・ ーーー長い沈黙ーーー しかし、いま感じ始めているこの喜びはなんだ。なにもないところで輝いている。私が。・・・私は闇だ。だが、ただの闇ではない。おお〜、うれしや、闇自身が光り輝いている。そうなんだ、私こそはかりしれない如来の功徳として、過去、現在、未来をつらぬいて光り輝いているのだ。おお〜、おお〜 南無釈迦牟尼仏!南無釈迦牟尼仏!南無釈迦牟尼仏! |