インド、TATA製ジープ”SUMO”を駆って2900kmを走る
南インド・開教行脚レポート


2001年、南インド開教行脚「ダンマ・ヤトラ」一週間の旅

「ケララ州」
ビハール(寺院)建設始まる。アンベードカル像を初めて建立。
 ボディー・ダルマ師の指導に感激
 8月27日から8日間の「アジアの友を支援する会)」(会長・河野太通老師)主催の
スリランカ・ワジラスリ孤児院訪問のスタディツアーに参加し、
9月3日から単身、南インド・ケララ州のトリバンドラムに渡った。
ナグプールのアーリアナーガアルジュン佐々井秀嶺師の弟子で、
15年前の1986年10月5日に来日し、岡山・曹源寺の原田正道老師のもとで
臨済禅を修行中のボディー・ダンマ師と合流するためである。
以下は今年で3年目となるボディー師の南インド開教行脚のレポートである。
 今回、訪れたのはケララ州、タミルナド州、アンドラ・プラデシュ州、カルナタカ州で
ボディー・ダンマ師が3年かけて組織した印日国際青年仏教徒会の各州支部のリーダーたちと会った。
 きっかけはカルナタカ州での仏教徒の大会に佐々井上人が導師として招待されたが、多忙であったため、
インドに帰っていたボディー師を名代として派遣したのが始まりである。
 彼らは前不可触民・ダリット民衆であり、彼らが解放者と仰ぐ、アンベードカル博士の信奉者たちであり、
早くから仏教徒となっていたグループもあれば、アンベドカリストであるが仏教との縁がなくクリスチャンとなっていたもの、
イスラムのもの、ヒンドゥー教のままでいたものなどさまざまである。
ケララ州の場合、ボディー師と接触してからは、彼の力強い開教、指導に感激し、
竹の骨組みに芭蕉の葉を葺いた掘っ立て小屋から始めて、徐々に、まずアンベードカル像、次いでブッダ像を祀り、
村人の信仰活動の拠り所としてのビハール建設を始めたばかりである。それまでアンベードカル像は一体もなかったという。
ボディー師がナグプール製のものを3年前に運び込み、初めて建立した。
 
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